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Weblio 辞書 > 英和辞典・和英辞典 > さいわい4ちょうめに関連した英語例文

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さいわい4ちょうめの部分一致の例文一覧と使い方

該当件数 : 1



例文

夫・忠刻とも夫婦仲睦まじく、翌元和4年(1618年)には長女・勝姫(円盛院)、元和5年(1619年)には長男・幸千代が生まれるが、元和7年(1621年)に幸千代が3歳で没したのを始め、その後は流産を繰り返すなど子宝に恵まれず(これは秀頼の祟りだと言われた)、寛永3年(1626年)には夫・忠刻、姑・熊姫、実母・崇源院が次々と没するなど不幸が続き、本多家を娘・勝姫と共に出て江戸城に入り、出家して天樹院と号す。例文帳に追加

She lived happily with her husband Tadatoki, bearing their eldest daughter Katsuhime (later Enseiin) in 1618 and eldest son Yukichiyo in 1619. However, after Yukichiyo died in 1621 at the age of three, she suffered repeated miscarriages, having difficulty in bearing a child (this was rumored to be the curse of Hideyori). In 1626, she lost her husband Tadatoki, mother-in-law Kumahime and mother Sugenin, one after another. After a series of these unfortunate events, she left the Honda family together with her daughter Katsuhime to go to Edo-jo Castle and later became a Buddhist priest, calling herself Tenjuin.  - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス


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